木村玲奈 Reina Kimura
振付家、ダンサー。青森市出身。東京 / 神戸を拠点に活動中。2008年からショーネッド・ヒューズ(UK) の作品に関わる。国内ダンス留学@神戸(振付家コース) 1期修了。環境や言葉においての身体の変化や状態、人の在り方に興味をもち、城崎国際アートセンター、 Art Camp Tango 2016-17、タスマニア・シドニーでの滞在制作 2017、穂の国とよはし芸術劇場PLAT ダンスレジデンス2018 に参加するなど、国内外様々な土地で創作を試みている。創作活動を通して、ダンスと人・土地の新しい関わり方を探りながら、ダンスを後世に残していくことを試みる。2020年度 セゾン文化財団 セゾン・フェローⅠ。
「ダンス」と『作品』について
「ダンス」と『作品』についての考察・模索・創作・実行は、いつか自分がこの世を去る時までずっと続けていくことだろう。
ダンスとは? 踊るとは? 作品とは? と常日頃から考えている私の、現時点の考えを、個人的な話も含めて書きとめる。
「ダンス」との出会い
4歳の時、自分の意志でバレエ・モダンダンスの教室に通い始めた。初めて先生に足を持ってもらいアラベスクをして、そんな自分の姿を鏡で見た時の感覚・記憶が今でも私の中に残っている。また、父が津軽手踊りの踊り手だったので(膝を痛めて35年以上前に辞めているけれど)、物心ついた時から家には津軽民謡が流れ、父が練習している姿が在った。自分は踊っていないけれど、「ダンス」との本当の出会いは、父が踊る津軽手踊りを見た時かもしれない。私は津軽手踊りを習うことなくバレエ・モダンダンスを始めたが、「ダンス」は巡り巡って何十年も後に、私のダンスルーツとも言える津軽手踊りへ改めて出会わせてくれた (ショーネッド・ヒューズ『青森プロジェクト』[2008-] https://reinakimura.com/2020/06/13/as-a-dancer/2/ )。
「ダンス」について
「踊ること」と「ダンス」を分けて考えている。私は踊ることもするし、創ることもするので、ダンサー的思考と振付家的思考が常に同時に在る。それが非常に厄介で、自作自演の際にはこの二つの思考が喧嘩する。身体は私一人分しかないので、この喧嘩が落ち着くまで動けなくなってしまうのだが、最終的にはいつも振付家的思考が残り、ダンサーとしての私は自分の『作品』を成立させるために必死に何かを遂行する事になる(たとえそれが自分のダンサー的思考に反していたとしても)。
「踊ること」を考える時は、演者としての主観的な立場で考えることが多い。自分にとって「踊ること」は、振付という拘束の中で拘束を守りながらも余白・自由を見つけ、時間を細分化して味わうことであり、また、様々な邪念を捨て、その場に存在できた瞬間にのみ、空間、時間、振付、自分自身、そして (観客がいる場合は)観客との間に点を打つような感覚を味わうこと、でもある。一瞬だけどこかへ辿り着いたような、場所を見つけたような感覚。でもその感覚はすぐ通り過ぎて、消えて無くなってしまうけれど。
「ダンス」については、振付家としての客観的な立場で考えることが多い。自分にとって「ダンス」とは、空間に身体が在ることで瞬間的に立ち現れる現象のようなもの。私はこのダンスという現象が起こりうるメカニズム(構造・振付)に興味があるし、構造や振付を探求・創作・実行するのが好きだ。個人的な話になるが、社会の中で、日常生活を生きていくことは大変だと小さい頃から感じてきた。生きづらさを抱えながら現在に至る。でも、ダンスという現象が起こりうるメカニズムを探求・創作・実行することで、私は以前より日常を生きていられるようになった。今まで見えていた景色や、聴こえていた音に再び出会い直しているような感覚。ずっとダンスに救われていると思う。そんな自分なのに、数年前 自作品へ出演してくれたダンサーに「ダンスは貴方を助けてくれない。ダンスに甘えるな。」と言ってしまったことがあり、言ったことを後悔していたのと同時に「ダンスが助けてくれることもある。」と、この場を借りて言い換えたい。ただ、私はいつだって「ダンス」に対してのリスペクトを忘れたくないのだ。リスペクトしながら、ずっと「ダンス」の為に働いていきたい。
『作品』について
4歳の自分だって、『(ダンスの)作品』に出演するんだ、という意識を持っていた。そう考えると『作品』というものがずっと身近にあったのだと思う。今回自分の考えをまとめるにあたり、まず『作品』をインターネットで調べてみたら[ 製作物。普通は、芸術活動によって作られた制作物。]と出てきて、うーん・・・そのままだなと思いながら、まずは自分と『作品』の距離について書いてみる。演者(ダンサー)として関わる場合、25歳頃までは『作品』は日常とは乖離されたものであり、特別な時間が流れていて、その時間にどっぷり浸かれるものだった。でもそれは、稽古場・スタジオに行けば【オン】になり、稽古が終われば【オフ】になって「ダンス」のことも『作品』のことも忘れてしまうようなそんな感覚だった。『作品』の中で化けてナンボ的な気持ちがあったと思う。しかし日常生活はそれとは逆で、『作品』を踊っている時だけ生きていて、日常は生きていない、そんな気持ちだった。25歳を過ぎた辺りから、『作品』という世界を成立させる為に、自分がどう在る(踊る)べきなのかをより考えるようになり、自分の身体を使ってダンスという現象が起こりうる在り方 (踊り方)を試していった。その中で、『作品』と日常が繋がり始めた。稽古場以外での自分の身体の在り方を観察するようになったり、交差点の人の流れ方や歩き方を眺める時間を持つようになった。年齢を重ねたということも大きいかもしれないけれど、以前のように刹那的に踊ったり『作品』と関わることが難しくなり、より現実的にその時々の自分の身体と共に『作品』と関わるようになっていった。そして、30歳から他者へ振付し『(ダンス)作品』を創ることを始め、創作活動を通して、「ダンス」という現象が起こりうるメカニズムを様々な人と共に探して、毎日が過ぎている。
振付家として今自分が考えている『作品』について、箇条書きにしてみる。
・社会との接点
・様々な人・時間・モノ・お金等が行き交うきっかけ
・フレームの提示
・ダンスを後世に残していくきっかけ
・世界であり場所
・意思表示であり問題提起(私はこのように考えます。貴方はどう思いますか?)
・簡単にはアーカイブできない・残せないもの=形は残せないけれど、誰かのどこかに永久的に残すことができるもの
・上演だけでなく、そこまでの創作過程もこの先の未来も含む
・一度生まれたらずっと続いていくもの
8年間継続している初めて他者へ振り付けた作品『どこかで生まれて、どこかで暮らす。』、通称「どこうま」(注1)は、初演からほぼ振付や構成を変えず、様々な土地へ「移動」し、一定期間「居住」することで、土地や人と交わりながら継続発展を試みている。この作品創作を通して、私は8年間同じダンサーの身体を見続けているが、身体の変化というのは良くも悪くも露骨で、本当に面白い。飽きることが無い。長いスパンで身体を見つめ続けていくことも、自作品の大事な要素だと思っている。そう考えると、『作品』は『時間』であるとも言えるかもしれない。『どこうま』に出演しているダンサー曰く、彼女の意識では、盆、正月、『どこうま』なんだとか。『(ダンス)作品』なのに、親族との通例行事と共に挙げられた事を興味深く思った。振付をしている私だけではなく、『どこうま』の世界を立ち上がらせてくれる、そして『作品』の中で模索するダンサーたちにも、『作品』の中で生きることを通して、彼らそれぞれの活動に活かすことができる蓄積や得るものがあったらいいな、と思いながらいつも創作している。
『作品』は誰の為にあるのか? 観る人の為? 振付家の為?『作品』を売り買いする人の為?出演する人の為? 出資する人の為?
そんなの綺麗事だよ、と言われたとしても、私は全部の為だと思って『作品』を創っている。いや、創っているというのすらおこがましくて、創ろうと常にもがいている、という方が正しい。
上演についても触れたいと思う。『(ダンス)作品』というと通常は、上演部分のみの事を言われることが多いと思う。自分も若い頃はずっと、上演という頂点に向けて頑張っていたし、頂点で何が見せられるかだ、と思っていた。でも私の場合、上演が頂点だった頃は、上演が終わった後の喪失感が大きく、そこから日常生活へ戻るまで廃人のような時間を過ごすことも多かった。それは結局、上演【オン】と日常【オフ】の関係性だった。少しずつ試行錯誤を重ね、緩やかに【オン】【オフ】を行ったり来たりできるようになった時、私の中で上演は頂点ではなくなった。だからと言って、上演で手を抜くとかそういうことではなくて、その時のベストを尽くす。でもそこが頂点じゃない。私の『作品』の中で上演は社会との接点であるし、お客様と時間を共に過ごせる唯一無二の時間に変わりない。上演を行うことで、演者も『作品』もさらに先へ進むことができる。だから上演はもちろん大切な点であり『作品』だと言える。でも、もっとひいて見た時、『作品』という線を構成する一つの点にすぎないとも言える。
このように考えて、『作品』を創っているわけだが、皆さんもお気づきの通り、では最終的に私の『作品』は一体どこからどこまでなのか?という疑問が生まれる。『作品』は自分のフレームの提示だとも思っているし、切り取ること、フレーミングすることではっきり立ち現れてくる何かがあることも承知している。でもフレームサイズが観る人によって変化したり、モヤモヤ〜〜としていてフレームがなんだかよくわからないのに、確実に何かが存在している、という『作品』の在り方も面白いと思うので、引き続き模索していきたい。
注1:『どこかで生まれて、どこかで暮らす。』https://reinakimura.com/2020/06/15/as-a-choreographer/2/ https://reinakimura.com/2020/06/12/ws-project/7/
おわりに
最後に、忘れられない質問があるので書きとめる。「玲奈さんはどうして『作品』を創りたいんですか?「ダンス」じゃダメなんですか?」と聞かれたことがある。どういうこと??って思いながら、その時質問者へ自分の気持ちを伝えたと思うのだが、それからずっと「どうして『作品』を創るのか?創りたいと思うのか?」と自問自答してきた。私は上記のように『作品』のフレームを曖昧にしたいと思いながらも、『作品』というフレームを大切に思っている。現時点で、私にとっては「ダンス」=『作品』とも言えるし、『作品』の中に「ダンス」が在って、「ダンス」の中に『作品』が在るとも言える。でも「ダンス」は『作品』の中だけではなく、様々な土地に、様々な人の側に、たくさん存在していることも知っている (伝統芸能や台所で料理中に踊られる誰かのダンス等)。その存在している「ダンス」を見つめ直すこと、そして改めて自分が『作品』として提示することで、人の交流が生まれたり、異なる見方を再発見したり、時には衝突が起こったりすることに興味がある。そう考えると、私にとって『作品』は『何かのきっかけを創ること』かもしれない。もし4歳で「ダンス」と出会っていなかったとしても、何かしらの違う手段で『作品』という『きっかけ創り』をしていたと思う。あと『作品』を『自分の生きた証』のようにも捉えている気がするし、現実では叶わない桃源郷のような場所を『作品』の中にみているのかもしれない。でもそれは私のエゴかな、とも思う。もしかしたら質問してきた人は、そこを突っ込みたかったのかもしれない。そうだとしたら、私はエゴを無くすことはできないし、抱えながら、それを隠すことなく、それでも「ダンス」と『作品』と向き合いながら生きていきたいんだ、という事を伝えたい。
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
学術的でもないし、とても個人的な見解を連ねたテキストですが、日々模索しながら「ダンス」『作品』と共に生きている私のような人間が同時代に存在している事を、様々な方に知っていただくきっかけになれば嬉しいです。いつか生で、自作品を観ていただけますように。
2020年10月20日 (火)
木村玲奈