白井愛咲 Aisa Shirai
ダンサー、振付家。立教大学現代心理学部映像身体学科を1期生として卒業後、ソロで活動するほか、神村恵カンパニー、かえるPなどに出演。2016年にソロダンス「コンテナ」で ダンスがみたい!新人シリーズ14 新人賞を受賞。2017年「名称未設定」を発表。現在は主にKEKEとのダンスユニット「アグネス吉井」として活動している。「ダンス井戸端会議」のメンバーとして、ダンスにまつわるレポート等を掲載するWebサイト「idobata.space」の運営にも関わる。
https://aisa.site/
「働かなくても踊っていいですか」
2018年7月に「ダンサーと振付家の労働問題について」(以下、「ダンスと労働問題」)というタイトルの文章を発表しました。
あれから状況も変わり、自分の心境も大きく変わりました。上記記事を書いた2年前の自分を振り返りながら、現在の私がダンスと労働についてどのように考えているか、そして何を実践し、何をしないでいるのかについて書いてみたいと思います。
労働とは何か
「労働問題」と題した記事を書いておいて今さらですが、労働とは何でしょうか。
辞書的な意味としては「からだを使って働くこと」、経済用語としては「人間が自然に働きかけて、生活手段や生産手段などをつくり出す活動のこと」、そして一般的には「賃金や報酬などを得るために働く」ことを指しているようです。
(参考:「労働」とは何かを理解する 労働基準法の意味や労働者の定義を解説 | マナラボ)
労働基準法第九条において、「労働者」は以下のように定義されています。
この法律で「労働者」とは、職業の種類を問わず、事業又は事務所(以下「事業」という。)に使用される者で、賃金を支払われる者をいう。
労働基準法(◆昭和22年04月07日法律第49号)
また、日本国憲法第27条には「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負う。」と定められています。小学校でも習う「勤労の義務」を私は長らく絶対的なものだと思い込んでいましたが、これはあくまで倫理的な規定であって、働かないからといって処罰を受けるわけではないし、むしろ強制的な労働は禁じられています。(参考:「勤労の義務」について考える| 慶應義塾大学 通信教育課程)
私はうつ病の再発と治療の中で「自分には会社勤めやアルバイトはおろか、いわゆるコンテンポラリーダンスの世界の中で戦っていけるだけの元気もないのだ」と自覚して以降、「本当に働かなければいけないのか?」と疑問を持つようになりました。「働きたくないでござる」とはインターネットミームの定番ですが、そのことについて真剣に考えてみる必要がありました。生きているだけではダメなのか、働かなければいけないとしたらそれはなぜか、他の仕事ができないのならダンスを労働にする必要があるのかどうか。
時給は絶対ではない
「ダンスと労働問題」で私は、ダンサーや振付家が仕事にかける労力や時間に対して、得られる金銭が少ないどころかマイナスになることを訴えました。その問題意識の根底には、時間給の概念に則った価値判断がありました。
時間給(日給・時給)とは賃金の支払い形態の一つです。(他の形態としては、出来高制があります。)そして賃金とは、近代工業の成立以降、労働者が自分の労働力を自分で処分できるようになって生まれた概念です。
(参考:日本の賃金-歴史と展望- 調査報告書 )
その成立を産業革命以降だと考えると、ここ200~300年くらいの間に様々な変遷を経て定着したのが「賃金」や「時間給」といった考え方の枠組みなのでしょう。
自分を仮に労働者とみなした時に、時給換算をして割に合う/合わないを判断する考え方は、大変わかりやすいです。当時の私は自分の仕事の価値の判断基準がまるでわからないことに不安を覚えており、また一般的にフリーランスのアーティストは立場が弱いとされていることから「搾取されているのではないか」という被害者意識を強く抱え込んでしまった結果、時給換算をして損得を判断することに囚われていました。
「時給」や「最低賃金」という考え方は労働者を守るために必要ですが、ただの個人である私が、自分の人生や仕事を責める材料にすべきではありませんでした。もちろん現代社会に生きているので諸制度の恩恵を少なからず受けてもいるのですが、「時給で考えると割に合わないから価値がない、やるべきではない」と判断してしまうのは視野が狭かったと言わざるを得ません。
今の私は時給に換算すると全く割に合わないことばかりしていますが、「自分は労働者ではない」と考えるようになったため、あまり気にならなくなりました。
労働にならないダンスを、仕事として続けている
ここまで色々な理屈を並べ立てましたが、私が実際に「私は働かなくていい」「自分のダンスは労働にならなくていい」と考えるようになった決め手は、ダンスユニット「アグネス吉井」としての活動以外は何もせずに、気ままな数ヶ月間をただ過ごしたことでした。“生産性”のない人間として無為にダラダラと過ごした時間の経過が、「私はこれでいいな」と思わせてくれたのです。そしてそんなダラけた私でもなんとか続けることができている「アグネス吉井」の活動こそが、ダンスと労働やダンスと社会の関係について凝り固まっていた私の頭を緩めてくれました。
「アグネス吉井」というのは、2人組のダンスユニットです。劇場公演などは行わずに、InstagramやTwitterで10秒~30秒ほどの映像を発表しています。SNS上で無料公開し続けているそれらの作品には、当然値段がつきません。
以前、私が「アグネス吉井は作品を作り続けているが、それらはお金にならないから仕事ではない」と自嘲したところ、あるアーティストが「たとえお金にならなくてもそれは広義の『仕事』と呼べるのではないか」と言ってくれたことがありました。そんな風に考えたことのなかった私にとってその発言は衝撃的で、すぐには飲み込むことができませんでした。それだけ当時の私にとっては「仕事」と「労働」、「生きる営み」と「食い扶持を稼ぐこと」が不可分であり、混同していたのだと思います。
今は「アグネス吉井」の活動も歴とした仕事であると考えています。それは実際に有償の依頼に繋がっているということもありますが、何よりもSNSでの作品発表は無料だからこそ気負わずに続けられている面が大きく、そうして継続できていること自体に価値があると感じているからです。お金にならないことをしぶとくコソコソとやり続けるというのが、私のダンサー・振付家としての政治的な態度でもあります。
ちなみに「ダンスと労働問題」の中で私は「作品の長さ(尺)問題」と称し、コンテンポラリーダンスの商品として流通するのが「60分程度の劇場作品」に限定されがちであることに不満を述べました。
「アグネス吉井」が劇場で踊らずに作品の長さも1分以下であるのは、そうした風潮に対する抵抗でもありました。しかし活動を続けているうちに、業界全体ではなく個人の問題として、必ずしも大きな劇場作品や60分作品を作らなくて良いのだと考えるようになりました。自分たちに合った形式を選ぶことは、ダンスに対して余計な恨みを抱くことなく健康に続けるためにも大切なのだと痛感しています。
また、当時と今の状況を比べてみると、コンテンポラリーダンスの形式の多様化が進行したように感じられます。大勢の人が関わり時間をかけて作り上げられた劇場のダンス作品が決して無くなったわけではないですし、その一方で、誰も見ていないかもしれないような場所で小さく踊られるダンスもあり、上演に限らないプロジェクトベースの活動も増えてきたように思います。以前の私が知り得なかっただけかもしれませんが、様々なダンスのありように出会えたことで視界が少し明るくなりました。
本当にそれでいいのか
2年前の自分に対して「あの頃の私は囚われていたが、今では柔軟に考えられるようになった」というような調子でここまで書き進めてきました。
あれから改めて舞踊史や文化史を学び直したり、様々な本を読んだりしていく中で、「人類は太古の昔から踊っていた」とか「劇場がない場所にもダンスは存在する」といった事実に何度も触れることができて、そのつど勇気をもらえたのは本当です。人類や生き物にとっての踊りが持つ意味や長い歴史、多様なあり方、そうして壮大なスケールで踊りに思いを馳せていると、つい「自然に帰ろう」といったような気分になり、現実社会の諸問題が些細なことのように思えてきます。しかし頭の片隅からはどうしても、「どの立場からそんな悠長なことを言っているのか」「目の前の現実から逃げているだけではないか」といった考えが拭い去れません。
「ダンスと労働問題」に対して当時寄せられた反応の一つに、「好きでやっているんだから文句を言うな、嫌ならやめればいい」というものがありました。(似たような言説が芸術従事者にぶつけられる場面はこれまで何度も目にしたような気がします。)
そういった言い分は行き過ぎた自己責任論の一つの末路であると感じますが、だとすると私の側の「こっちは好きで勝手に踊っているのだから文句を言うな」という頑なな態度もまた、自己責任論の別の表れではないかと思えます。好きに踊ってしまった結果、何らかの責任を追及されるのではないかと怯えているのです。
本当に好きで踊っているのならば言い訳をする必要もないはずなのですが、私はいまだに言い訳せずにはいられません。生きることは許されている。踊ることは自由である。そんな言葉を繰り返し自分に言い聞かせても、「本当はそんなはずがない」と粘り強く叩こうとする架空のクレーマーのようなものが強く内面化されてしまっています。
2年前と比べて心身の健康状態は改善し、人との出会いによって見識も広まり、強迫観念や不要な責任感から逃れることができたようにも思われる一方で、今の私は他人や社会やコンテンポラリーダンスから距離をとることで自分を守り、「宇宙の歴史から見ればごく最近できた資本主義のシステムに適応できないからって、それが何?」と冷笑を決め込んで引きこもっているような状態です。踊ることを盾のように構えていますが、ダンスのプリミティブさを都合良く解釈しているような気がしなくもありません。
もっと図々しくなりたいという思いから、今のところはこのような態度をとり続けていますが、そのうちまた気分が変わって全く異なる主張や実践を始めるかもしれません。変わり続ける自分をじっと見つめながら、自分の性質に見合った世界との付き合い方を考えていきたいです。
このような中途半端な文章を出してしまうことに躊躇いもありますが、私という人間の現在地の記録として、自分にインタビューするような感覚で執筆しました。最後まで読んでいただきありがとうございました。