奥野美和

奥野美和 Miwa Okuno

3歳よりモダンバレエを始める。2007年より北村明子率いるLeni-Bassoに参加し国内外で活動後、2009年よりソロ活動を開始。自ら映像やオブジェの制作を手掛け、身体・映像・音を一素材として扱う総合的な空間芸術創りを目指す。2013年、横浜ダンスコレクションEXにて「若手振付家のための在日フランス大使館賞」「MASDANZA賞」を受賞。同年、インターナショナル・コンテンポラリーダンス・コンペティションMASDANZA18(スペイン)「審査員賞」を受賞。2017年、東京藝術大学大学院美術研究科先端藝術専攻に入学し修士号を取得。2017年、カナダの女優・演出家のマリー・ブラッサールによる演劇『この熱き私の激情』に出演。2020年より同演出家による新作に参加し、2021年に海外ツアーを控える。

www.miwaokuno.com


独自の身体メソッドの構築と背景

—目次—

  1.  はじめに
  2.  バックグラウンド
  3.  脱力
  4.  怪我、そして骨と肉への解体意識
  5.  骨と肉のメソッド
  6.  最後に

1 はじめに

 3歳よりモダンダンスを始め、気がつけば34年間身体表現と向き合ってきたことになる。

 本稿の執筆を機に、2010年あたりから掘り下げ続けている骨と肉のメソッドの構築背景と説明を、昨年取得したマットピラティス指導資格の知識も加えつつ、上記の項目に沿って文面におこさせていただくとする。

2 バックグラウンド

 私は3~18歳までモダンバレエを習い、その後大学の部活動にて創作ダンス、そして卒業後コンテンポラリーダンスの活動を行ってきた。3歳から通ったモダンバレエ教室では先生が重視していた自分の身体の稼働範囲以上なことは避け身体を正しく扱う基礎を学んだ。また大学の部活動では創作を通し言葉やイメージを身体で表現する方法の模索や少々のストリートダンスに触れ、その後、ダンサー・振付家の北村明子さんより推薦いただいたインドネシア武道に接してきた。(他にも色々なメソッドに触れたが、本文では自身のメソッドに特に影響があった事柄をピックアップすることとする。)

 約2009年のソロ活動を始めた時期から、自分の身体の特徴を考察し、どのような身体の使い方が自分の身体に適しているかを日々模索していた。

 もともと幼少時に私が踊りを好んだ理由には「自由になりたい」という本能と、人前で緊張し易く言葉を上手く話せなかったという性格があったように思う。また、社会の決められた形式を自分の選択無しに強いられることに人一倍ストレスを感じる性格だった私は、ダンスを通し心と身体が解放され、現実の人間という姿から「他のモノ」に変貌し、非現実に至る瞬間に喜びを感じていたのかもしれない。そして、そのような「色々なモノに成りたい」という願望を実現するには、手段や方法は選ばなかったが基礎は必要となる為、とにかく色々なメソッドやジャンルに触れようとした。

 その中でも身体機能に沿って微細な筋肉をコントロールするバレエメソッドの完成度の高さには再認識させられた。ただ、関節の可動域が広くない自分のような身体でも、360度の角度に対し自由度と対応力を持ち、あるダンスのジャンルを基盤にして踊る方法から、作品そのものを体現する踊り方に転換していきたいという想いがあった。全てのバックグラウンドをゼロに戻し、舞踏などのジャンルを学ぶことも一手段だったとは思うが、「オリジナリティ」にこだわりを持つ私は、既に知っている身体感覚を「応用」することでより独自性が増すのでは無いかと考えた。

 私が習っていたモダンバレエを利用して独自のテクニックを構築出来ないかと考えたとき、バレエは大きな舞台に対応する為に、関節を観客に対し開かれた身体方向(外旋・外転)にフォーカスをあてるのだとすれば、それとは逆の方向(内旋・内転)に身体の動かし方も習得すれば、結果全体のrange(作動する範囲)が広くなるのではないかというイメージがあった。また筋肉に関しても、バレエは筋肉を伸ばして使うことが多いが、それ以外の方法、例えば忍者や猫が狭い壁の間を通るように、大きなアウターマッスルを柔らかく溶かして使い、骨に近いインナーマッスルをコントロールすることで、フォルムに変化をもたらすアメーバのような身体ができ上がるのではないかと考えていた。(バレエでは縦方向の細い筒に集めるように骨を集めて使うというイメージを使うという意味では、バレエも猫や忍者と同じ方法で骨をコントロールしいるという捉え方もできる。)

3 脱力

 “脱力”という身体の使い方は、緊張し易く身体を固める癖のある私の身体にとって、習得すべき重要なテーマになっていた。北村明子さんに勧めていただいたインドネシア武道(プンチャック・シラッド)は、素早く相手の攻撃から逃げる方法を習得する流派だが、そこには相手への攻撃となるパンチやキックの実践も必要とされ、攻撃後次の動作に素早く移動する際、俊敏に力を抜かないと次の瞬間大きなパンチは生み出せないことを身体に染み込ませる。生死に関わる武道の為、筋肉のオンとオフを凄い速さで繰り返すことになる。“脱力”にフォーカスを当てる稽古はコンテンポラリーのダンスワークショップなどでも体験したが、脱力すると動けないという問題に直面していた私は、動作が始まる前や動作を継続する為には“脱力”が必要であることを学んだ(注1)。また、脱力が生み出すスピードの原理を武道を通し触れる事ができた(注2)。

(注1) ピラティスを学んだ今、この“脱力”にも、①動いていない筋肉へ意識を持つスイッチがオンされた状態(動き出すことの出来るアクティブな状態=ニュートラル。武道の脱力もこれにあたると認識する。)と、②動いていない筋肉の中で固さを感じる部分の力を抜く(下記記載のヨガのポーズシャバ・アサナはこのように肉体を手放すような方法にあたると認識する。)の2つのパターンがあると現時点では解釈している。この②の筋肉の状態のまま動く事が出来ないか模索していた私は、後に5章の①②にあたる“骨を移動させて動く”という方法により、脱力した状態での動き方を見つけることになる。

(注2) 本稿では省略するが、武道を行うことにより「動作と呼吸の関係性」も学んだ。どんな運動でも継続を維持する為(ダンスの場合超時間の公演をこなす)には、「身体への酸素の送り方」は最も重要な点である。

4 怪我、そして骨と肉への解体意識

 それまでモダンバレエによって作られた上方向にあがっていく身体の癖がついていた私には、コンテンポラリーダンスを始め、重心を落とすことが必要になった際にその正しい方法が分からず、単純に全身を脱力することで重心を落としていた。その為、股関節や腸腰筋がしっかり畳まれて使われず、体重がそのまま腰と膝に大きくかかる状態で動き続けていた。その結果2007~2008年頃、骨盤・前太腿・膝が固まり膝の半月板損傷の手術を行うことになる。更にその後、術後の膝をかばうことで腰を故障するというよくある流れを経験した。また2013年、本番中に左の臀部を激しく床に落とてしまった為、左骨盤の下部が上に押し上げられままの状態になり、ケアをしない限り周りの筋肉が自然と固まってしまう状態になった。

 怪我や故障はその最中は厳しいけれど、「怪我=仕事にならない」という現実にぶつかることで、根本的な身体の使い方(=どうやって人間は動いているのか?)を学ぶきっかけとなる。そして今では怪我も人体実験や身体表現を掘り下げる為の一つの仕事だと有難く受け取っている。

 そんな怪我の経験をした後、身体のケアや本質的な身体と向き合うことをしないといけないとヨガに通い始めた。ヨガのポーズの一つであるシャバ・アサナ(死体のポーズ)は、今までの人生の中でも特に大きな体験となった。【仰向けで寝た身体が深海に沈んでいき 筋肉が溶けて 骨だけになり その筋肉が水になり あらゆる物質の一部になっていく】というヨガ講師の言葉を覚え一人稽古で行った時、その言葉と身体が一致し、それまで求めていた「自由」を体感し、感動し一人で泣いた事は忘れ難い。同時にその瞬間、自分の身体に対して骨と筋肉という2つの物質への認識を得ることもできた。

 当時美術モデルの仕事をしていた私は、時間があれば美術室の骨格模型をずっと眺めていた。そしてポーズ中は頭の中で創作をする時間に当てていたので、骨格模型のパーツと実際の身体への意識を一つずつ擦り合わせる作業をした。それが後に、固有需要感覚(身体の位置・動き・力の入れ具合を感じる感覚)を鍛えていることに気付いた。

 また、ポーズ中にデッサン講師が何度も繰り返す「骨で形を捉えそこに肉付けをしながら強弱を作る」という言葉を聞き、美術と同じ文脈で身体メソッドを行うことで、イメージに対応する自由な身体メソッドが出来るのではないかという着想を得た。こうして私はシャバ・アサナの体験と人体メソッドを掛け合わせ始めた。

 2015年、作品『B/O/N/E』の創作と発表を行い、人体デッサンから着想を得た骨と肉を基盤とする自身の身体メソッドを作品に落とし込んだ。独自に身体基礎のベースを生み出したいと願っていた私にとって、そのメソッドをそのまま作品化し身体が本番を体験することで、身体に説得力を持たせる為の行為でもあった。

 その後、ワークショップやグループ作品に出演するダンサーに自身のメソッドを共有する過程で、非現実的要素を持つイメージを体現することとは対照に、そこに現実的な解剖学の知識を掛け合わせていくことで更に身体の可能性と受講できる人の幅も広がるのではないかと感じた。そこで、身体機能の本来の在り方を学ぶことのできるピラティスを学び始め、2019年にマットピラティスの指導資格を取得した。現在はそれらのアプローチ方法をかけ合わせた再構築と実践を行なっている。

 ピラティスは自分で行う整体・整骨のようなものであらゆる人にとって効果があるが、骨を移動させながら動きたい私にとって骨の位置を自力でその都度元どおりにできる為、特に自分のメソッドと相性が良い(注3)。身体に負担の少ない基本の骨の位置を習得すると、全ての骨がどこへでも移動できるようなポジティブなエネルギーが身体に生まれる。色々なものに変貌したい私にとっては褒美のようなものである。

(注3) 本稿にて使用している「アメーバのような」「骨と肉に分ける」「骨を移動する」などの言葉は、物理的には不可能な言葉であり、身体に語りかける比喩(ピラティスで言うとイメージキュー)として使っている。また身体部位への意識と言葉のイメージを深め、身体に反映させることで他者にもその意識が伝わり、その言葉が視覚に表れる状態を目標としている。過去ワークショップで「実際骨と肉は分けることはできない」という声があり、その際に上手く説明できなかった為ここに記させていただくとする。

5 骨と肉のメソッド

 上記の説明を経て、現時点で提示しているメソッドのおおまかな内容を手順に沿って文章化してみよう。

①骨と肉を分ける

  • 床に身体を寝かせた状態(身体と床の設置面が多い状態)で部位ごとに床から1センチ程(重力を感じる高さに)持ち上げる
  • この時筋肉への意識はできるだけ持たず骨だけ持ち上げ「骨に肉がぶら下がっている状態」を作る

②骨と肉の間に空間(あそび)を作る

  • 骨と肉の癒着を取り摩擦が起こらないように頭蓋骨から脚の裏まで全ての骨と肉の間に空間(空気)を設け色んな方向に転がる
  • 空気の量を部分的に増やしたり減らしたりする(空気の量を増やすことで空間に浮く=「引き上げ(下記補足1を参照)」られる部位が出てくる。減らすことで骨と骨が近づきコンパクトな身体が生まれる。)
  • 空気のボールを作り骨と肉の間を移動させることで動かされる身体とハプニングに対応する身体を鍛える

③筋肉で強弱を作る

  • 決められた秒数(ex. 1~30秒)で筋肉の力を0~100%に入れていきその後同じ速さで抜いていく

④骨格で形を作る

  • 骨のパーツを一つ選びアングルを変えたり位置を移動させたりする
  • a: 移動する一つの部位に他の部位も一緒に連れられていく
  • b: 関節の間により空間を設けると他の部位が置いていかれる瞬間ができアイソレーションが起こる
  • 上記a、bの2通りの動きが生まれる

⑤骨と肉への意識を同時に試す

  • ④に③を組み合わせ筋肉の強弱の度合を選びながら動いてみる

 上記に補足して以下の点を示しておきたい。

〈補足1〉

 「引き上げ」に関し、引き上げるという言葉は単純に「上に持ち上げる・引っ張る(pull up)」という意味で用いられるが、大きく分けると、(A)そのもの自体を持ち上げる[引き上げ]と、(B)上方向と下方向の2つの点を引き合うことで成立する2通りが存在する。上記メソッドの②の空気によって持ち上げられる[引き上げ]は、引き上げという概念に関して理解に苦しんでいた私が独自に考案するもので、身体に【(外の)空気→筋肉→空気→骨→空気→肉→(外の)空気】のレイヤーを作ることで骨と筋肉が空気に挟まれ自由になる方法である。

 空間に対しての身体の存在の高さを、上(バレエ)、下(Hip Hopや日本舞踊)があるとすると、私が考案する高さは「中」となり、少し空気中に浮かび風船のように漂うような位置となり、いつでも上下に向かう事ができる位置を目指している。その為、地に脚を根付かせることで地からの反発力を借り上部にあがる動作(ex, リフト・バットマンのような脚上げ・ジャンプなど)には適していないが、反対に身体に触れ安定させる個体がない為、難易度の高い空中での動作に関する応用トレーニングとして機能する可能性はある。

〈補足2〉

 上記のトレーニング内容は、出来るだけ大きな筋肉を使わずに骨で動くアプローチをする比率が多い。骨に近い筋肉で動くことで可動範囲を広げることを目標にする内容である為、空間に広がるバレエや、大きな筋肉を鍛えるストリートダンスなどのバックグラウンドを持つ人が行うと身体を畳む方向へのrangeは広がる可能性はあるが、大きく(特に縦方向に)身体を使う事を鍛える為のメソッドにはなっていない。コンテンポラリーダンス界ではバレエを基礎とするダンサーが圧倒的に多い状況の中で、西洋や東洋の歴史的身体性の違い(例:西洋は上、東洋は下へのエネルギーを持つ。)への認識を打破することが、次世代のコンテンポラリーダンスの身体性の可能性が広がると感じていたからだ。また、一般の人やダンス以外の分野(特に美術分野全般)の人に対しても身体の自由を味わえる身体メソッドを開拓したかったが、それらの人は広い舞台に適応する技術は特に重要ではないという考えもあった。

 ピラティスを勉強し、ダンサーや一般の人も含め筋肉の使い方の癖を解消することで可動範囲が広がることを知り、今後は筋肉を伸ばして使う・縮めて使う・筋肉の長さを変えず使う、などの筋肉の質的アプローチを組み入れることで、その人に合う身体作りを提示できるのではと考えている。

6 最後に

 私が身体を即物的に捉え始めた理由として、3.11以降、人間が人間の為に作り出すものによって様々な物事が失われる事態を目の当たりにしたことも一つのきっかけとなっている。一度身体から感情を切り離し「人間」ではない物質として存在することで、あらゆる現象に物質的に動かされていったのち、初めて感情がついてくる、という回路に人間の本質を見出していた。

 私は創作をしたり、他の作家の作品に携わる際はダンスをしようという想いより「作品を通し社会で発言すること」に重点をおく人間の為、ダンスは手段(ツール)として捉えている。そして、それに適応する現代の身体表現者として在るには何が必要だろうと考える。

 ダンス、演劇、美術、歌など様々なジャンルが交差する作品が創出される世界で、「作品」という言葉そのものへ重点を置いたときに、ある一定のジャンルと認識されるものが登場することへの違和感を感じる自分がいる。その違和感は自分は解消できているのか、そのような身体表現を社会は必要とするのか、そもそもジャンルとは何なのか、今も社会や自身に問い続けている。自分が目指す身体メソッドはその問いかけの一つなのかもしれない。

 身体と会話を行うあらゆるメソッドはそれぞれに誕生した経緯・目的・美意識があり、数ある分だけ選択が可能で、その構築にも終わりがない。

 自分では目視できない自分の「身体の中」。性別・年齢・国・人種・宗教などが違えど、「人間誰しも骨と筋肉という自然物から出来ている」という事実に勇気をもらい、今後も実践と言葉に起こす作業を続けていこうと思う。