越智雄磨

 ダンス研究者の越智雄磨さんには、ダンスと「近代」に関してのテクストをお願いしました。とはいえ、近代というテーマはあまりに大きすぎるもので、短い文章に全てを詰め込むことはできません。そこで、児玉から越智さんへいくつかの質問を投げかけ、それに応答していただくという形でこのテーマにアプローチできればと思っています。


越智雄磨 Yuma Ochi

愛媛大学法文学部講師。日本学術振興会特別研究員、パリ第8大学客員研究員等を経て現職。博士(文学)。専門はフランスを中心としたコンテンポラリー・ダンスに関する歴史、文化政策、美学研究。早稲田大学坪内博士記念演劇博物館において開催されたコンテンポラリー・ダンスに関する展示「Who Dance? 振付のアクチュアリティ」(2015-2016)のキュレーションを担当。編著に同展覧会の図録『Who Dance? 振付のアクチュアリティ』、単著に『コンテンポラリー・ダンスの現在―ノン・ダンス以後の地平』(2020)がある。


ダンスの(反)近代

#1  (2020/10/1 up)

児玉:

 このテーマを私が選んだのは、いわゆる「舞踊史」というものが、「近代」とよばれる時代区分とほぼ時を同じくして始まったという事に対する興味ゆえです。つまり、近代におけるある種の思考の形式が、ダンスという実践を歴史的に語ることを可能にした、という風に思っています。近代という概念自体、確固とした定義がなく様々なアプローチが可能なものではありますが、ダンスとの関連で近代を考える、もしくは近代との関連でダンスを考えるということができるような気がします。

 まずは前提を共有するために、「近代」という概念とダンスの歴史的な関連について、越智さんの見解を少し伺えますでしょうか?

越智:

 たしかに、近代的な見方がダンスの歴史を眺める上で、強い影響力を持っていると思います。そして「近代」という時には自ずと西洋中心的なるものが含意されているとも思います。ちょうど、17世紀にフランスではバレエの礎となる王立舞踊アカデミーが設立され、その後「コレオグラフィ」という舞踊記譜法も開発されることで、ダンスが国家的な制度のもとに、分類・整理、記録されるということが始まりますので、近代以降に西洋のダンスの歴史というものがくっきりと痕跡を残しているという印象は受けます。

 近代を近代たらしめている条件について様々に言われますが、たとえば、資本主義・科学・テクノロジーの興隆、宗教的権威への異議申し立て、絶対主義国家から近代国家への移行など、様々な点で、人々の世界の認識や習慣に大きな変化が起こったということが大きな要素としてあります。先に述べたダンスの分類、記録も、近代に起こった博物学的な「分類」という観点が強く影響を与えていると思われます。同時に、このような変化とともに、歴史的に先行するものや過去を否定し、それを批判的に乗り越えつつ更新していくという「近代的」な原理が存在感を増していくわけですが、ダンスの歴史的展開についてもこうした近代的な原理が作動した進歩の歴史として展開している面があると思います。

 たとえば、17世紀の宮廷舞踊の否定として18世紀に物語バレエが登場し、19世紀にはロマンティック・バレエやクラシックバレエの登場によるバレエの舞台芸術としての洗練化が起こりますが、20世紀にはバレエ・リュスによるある意味でのクラシック・バレエの慣習の破壊と革新が起こります。また、同じく20世紀には、バレエ的な身体を不自由かつ不自然な身体として否定し、自由舞踊を踊るイサドラ・ダンカンが新しい時代のダンスの象徴的な存在として登場し、その後にマーサ・グラハムらがモダン・ダンスを体系化したかと思えば、その美学に反するマース・カニンガムが20世紀半ばに現れ、さらにその後続としてポスト・モダンダンスと呼ばれる世代がカニンガムのダンスに見られた「あらゆる動きがダンスとなりえる」という思想をよりラディカルに押し進めます。このように、ダンスの歴史は、先行する時代や世代のダンスを否定したり、批判的に継承したりすることにより更新されてきたと言えます。

 そして、この歴史的展開はダンス史が語られるときによく見られる典型的な流れでもありますが、それは西洋の劇場芸術としてのダンスの歴史であって、そこに非西洋圏のダンスは含まれていませんし、大衆的、民俗的なダンスも含まれていません。ここには、アメリカのポスト・モダンダンスと同時期に起こった日本の前衛的ダンスである舞踏が含まれることがありますが、それも良い悪いは別として、西洋近代的な「芸術」という制度から語られ、歴史に取り込まれているという面があります。

 クルト・ザックスという研究者が20世紀初頭に『世界舞踊史』という本を書いていて、そこには非西洋圏の民俗的ダンスの記述も含まれているのですが、当時の進化主義人類学がそうであるように、その見方はとても西洋中心的で、西洋のダンスは文明的・合理的で進歩の最先端にあるとする一方、それ以外の地域のダンスは文明的洗練を経ていないというような蔑視が透けて見えます。

 このような「西洋中心主義的」で「進歩」を基調とする歴史観に対して、西洋の側から批判的な見識が出てくるのは1960年代のジョアン・ケアリノホモクの論文「ある人類学者がバレエを民俗舞踊の一形態としてみる」あたりまで待つ必要があります。また、スーザン・リー・フォスターのような現代のアメリカの舞踊研究者は、20世紀のアメリカのモダンダンスにおいて、芸術作品として評価されるのは白人のアーティストによるものだけであって、有色人種のアーティストは芸術性が高いと現在の目から見て判断される作品を作っていても、民族的舞踊として扱われ決して「芸術」としてみられなかったと、反省的に述べています。ここから考えると「近代的」なダンス史というのは、ある部分ではコロニアル(植民地主義的)な観点から語られているのですが、フォスターらは、ポストコロニアルな観点から単線的な西欧近代的ダンス史を見直し、より複雑なラインの絡まりとしてのダンスの歴史を捉えなおそうとしているように見えます。

 また、フランスでも、こうした「近代的」なダンス史観の反省が90年代頃に生じたように思います。進歩史観を極端化すると、振付家やアーティストは、先行する時代にない新しさやオリジナリティを求めなくてはならないという強迫観念にさらされるという事態も起こります。1980年代のフランスの「ヌーヴェル・ダンス」は、その名の通り「新しいダンス」ですから、その振付家たちは、自分たちがどのダンスの流派や伝統にも属さないことを強調し、過去を振り返らないことに価値を見出していた節があります。そのような態度も「新しさ」を価値として称揚する近代的なるものの現れと見ることができるのではないかと思います。しかし結果として、大方アイデアが出揃ってしまったとき、さらに新しいものを作ることに困難も生じます。その反動で、1990年代のフランスではダンスの歴史上の過去の作品を反省的に見直したり、引用したりするという態度も出現してきます。


#2 (2020/11/14 up)

児玉:

 17世紀から現在に至る歴史的な経緯とともに、ポスト・コロニアリズム(ポスト植民地主義)の視点も導入していただき、大変重要なご指摘だと思います。特に、昨今世界的に大きな運動となっているBlack Lives Matter(BLM)を受けて、今後そのような視点はダンスに関わる者にとって欠かすことができないものとして、ますます重要になると思われます。

 BLMにおいても争点となるのはやはり身体である、ということができます。Netflixの映像作品で、youtubeでも全編無料公開されている『13TH』という衝撃的なドキュメンタリーがあります。そこではマイノリティ、特にアフリカ系アメリカ人の身体がいかに過酷な資本主義的システムのロジックによって法律の保護の外に締め出され非人間的に酷使されているか、そして彼らの身体に対する我々の眼差しがいかに偏見に満ち溢れているのか、ということが克明に描かれており、人間としてというより資本としての身体を激しく搾取する、資本主義社会の残酷さが露わになっています。このような負の歴史と偏見を認めることによって、初めて未来へ向けた議論のスタートラインに立つことができるはずですが、まるでそれらが実在しない問題であるかのように否定され、BLMが激しい攻撃の対象となっている現状に対しては、強い憤りを覚えずにはいられません。繰り返されてきた黙殺の歴史に抗するBLMという運動の名前には、物質/問題という二重の意味を持ったmatterという語が使われていますが、そこにはBlack Livesは抽象概念ではなく実際に存在するMatter(物質/問題)なのだ、という主張が含まれているのではないかと個人的には思っています。

 話がすこし逸れましたが、ダンスを考えるにあたっても、歴史的なメタ視点と同時に生身の身体が経験する物質的次元を無視することはできません。「近代」以降においては、個々人が自己の身体と結ぶ関係性が、自己の問題にとどまらず、政治・経済・科学といった広い領域において大きな争点となります。自らの身体をどう感じるか、またそれが観客にどう見られているか、ということはダンス研究においても重要な問題であり、そこからダンスにおけるポスト・コロニアリズムの議論が初めて可能になるのではないかと思います。

 大きな問いかけにはなりますが、見られることを意識して自らの身体を形作る、「美的な身体訓練」という側面を持つダンスの実践において、「近代」は踊る身体の経験にどのような変化をもたらしたと考えられるのでしょうか?さまざまな切り口があるかと思いますが、越智さんならどういう点を取り上げて議論するのか、とても興味があります。

越智:

 資本主義システムの中における搾取対象として身体が捉えられているということや、とりわけ黒人の存在が差別的に扱われてきたということを児玉さんから言及してもらったことで、ダンス史における有色人種のダンスの問題と現在のBLMとが接続されて、ダンスにおけるポスト/コロニアリズムのアクチュアリティがよりはっきりみえてきたと思います。

 まさに、アルヴィン・エイリーやビル・T・ジョーンズといった黒人の振付家・アーティストたち、またニューヨーク・ハーレム地区やブロンクス地区などのストリートの無名のダンサーたちはmatterとしての身体を呈示してきたのだと思います。ダンス史の観点からを振り返れば、BLM的なるものの淵源をより過去に見出すことができるのだろうとも思いました。アメリカの舞踊史家スーザン・マニングが10年ほど前に来日した時、彼女が行っていたキャサリン・ダナム[1]の日本公演についてリサーチを手伝ったことも思い出されます。マニングは、白人の母と黒人の父を持ち、黒人の舞踊団を率いてワールドツアーを行っていたダナムを再評価しようとしていました。アメリカのダンス研究においては黒人、有色人種へのアンフェアな差別的見方を是正しようとする動きは、比較的早くからあったと考えられます。

 やや話は逸れますが、資本主義システムはその中にある身体を搾取対象としているようなところがありますよね。たとえば、ジョナサン・クレーリーが『24/7 眠らない社会』で、資本主義が私たちから奪っているものは睡眠であり、私たちは起きている限り資本主義システムに奉仕していると指摘していますが、この議論を踏まえると、「眠ること」それ自体をパフォーマンスにしたいくつかの歴史的事例の意義も明確になってくると思います。たとえば、自身が眠ったローリー・アンダーソン、高見沢文雄、トラジャル・ハレル、観客を眠らせた寺山修司など。意識や理性的判断(と思われているもの)を睡眠によりシャットアウトすることは、matterとしての身体の存在を浮かび上がらせる行為だととらえることもできる。児玉さんも「ねむれないよるのうた」という作品を作られていますよね。

 本題のダンスの「美的な身体訓練」という側面と近代の関係に移すと、やはりバレエの技術的体系の礎を確立することになる17世紀のルイ14世の王立音楽アカデミーおよび王立舞踊アカデミーの設立は見落とすことのできない出来事だと思います。そのことをきっかけとして宮廷舞踊では曖昧だったプロとアマチュアの境が明確になり、プロの実演者によるプロセニアムアーチを備えた劇場で上演される芸術としてダンスが発展し始めます。宮廷舞踊では踊る場所がダンスフロアであったのが、後に続くバレエでは劇場の舞台へと変化することは、ダンスが「参加する」ものから「見る」ものへと変化したということでもあります。ダンスをあたかも客席側から絵画を見るように鑑賞することで、ダンスの演目、あるいはダンサーたちは必然的に「正面性」を気に掛ける必要性が生じます。それは、すなわち視覚的に美しくある必要性でもある。

 より興味深いのは、王立舞踊アカデミーが設立の目的が、宮廷社会の社交に必要とされるような優美な振る舞いの延長上にあるダンスを発展させると同時に、兵士の身体訓練も兼ねていたということです。つまり、国家的に舞踊を育成するアカデミーは、国家に奉仕する有為な身体を作るということを目指していたという側面があり、この時すでにミシェル・フーコーが批判的にみるような「規律訓練」による「従順な身体」と「主体=臣民」の生産がダンスに影のように寄り添っていたとも言えます。このような歴史を見てもダンスは極めて政治的なmatterですね。

 アカデミックなダンスの体系化や記号化が極端に進んだ時に生じるリスクは、本来ばらばらで多様であったはずのダンス、すなわち個別具体的なmatterとしての身体を呈示するはずのダンスが、その地域的差異や個人的な身体的差異が抹消され、画一化されることで、その生き生きとしたダイナミズムが失われてしまうということだと思います。アカデミズムの全てを否定すると、ダンスの数百年の歴史のなかで生まれてきた成果も否定してしまうことになるので全否定はできないのですが、「アカデミズム」という言葉が、アカデミーで培われてきた古い権威的な慣習やテクニックを無闇に順守する行為を批判する言葉として、19世紀の批評においてすでに使用されてたことに留意しておく必要はあると思います。

 20世紀にはバレエの「美的な身体」に対してオルタナティヴなモデルとしてより自由で自然な身体を標榜するモダンダンスも登場するわけですが、それに関しても、全く批判なしにみることができるかというとそうではない。ということが今回児玉さんが触れてくださったBLM問題とポストコロニアリズムに関係してくるところです。「自然な身体」としてある種の身体の理想的規範がやはりそこにはあるけれども、そこで理想とされる身体がやはり白人中心主義的に捉えられていたという事実があり、前回・今回冒頭に触れたようにアメリカのダンス研究はそこを反省的に見返す作業を行なっている。

 もう一つモダンダンスについて触れておく必要があると感じるのは、モダンダンスの発生と展開とともに芸術作品としてダンスの地位と、作家としての振付家の地位が明確になってきたということでしょうか。かつてはダンスが娯楽としてしかみなされなかったり、台本作家に権威があって振付家には権威がなかったということがあったのですが、モダンダンスが登場する頃に作品の内容をオーサライズする立場と権威を持った振付家=作家が登場します。ダンスに「作家」が現れるということは、ダンスにおける「作品」のフォーマットができてくるということでもあり、観客はダンス作品の内容を解釈するという、既存のその他の芸術において既に確立した受容モデルに近い形でダンスを鑑賞するようになる。ただ、このことはダンスの芸術としての地位を向上させたものの、諸刃の剣で、ある意味ではダンスを狭める形で芸術という制度のなかに当てはめてしまうということにもなるし、作品の内容をオーサライズする振付家の権限、あるいは作品に込めた作家自身の内面を証言する(testify)者としての振付家の主体やアイデンティティをどこまで自明のものとして信じるか、という別の問題を招来したのだろうと思います。

[1] キャサリン・ダナム(1909-2006)フランス系カナダ人の母と黒人奴隷の子孫である父の間に生まれたアメリカ人舞踊家であり人類学者。

児玉:

 身体の経験的な側面を取り込んでしまうような強力な規範性の確立と、それに対する抵抗の実践がダンスでは歴史的に繰り返されてきている。しかしいわゆる「舞踊史」というものそれ自体が「近代」という枠組みの中で白人中心主義的な視点から形成されてきたものであり、現代におけるダンスの実践そして研究はそれらの問題を踏まえた批判的な視点を抜きにして考えることはできない、ということでしょうか。非常に重要なご指摘をいただき、ありがとうございます。

 また、ダンスが抱えるそのような問題は、現在起こっている社会的な出来事とも連続性をもったアクチュアルなmatterであるということが、越智さんが挙げられた例を通してだんだんと明確になってきた気がします。一見、政治や権力といった事柄とは距離があるように見えるダンスという実践は、実はそれらの力が渦巻く場なのだ、というのが特にここ数十年のダンス研究が明らかにしてきたところであり、だからこそダンスが身体をつらぬく権力を逸脱するような契機でもありえるわけですね。個人的にも深く興味を持っているダンスの側面で、今後も当事者として考えていきたいと思っています。

 少し矛先を変える形にはなりますが、越智さんとのやり取りを通して、西洋の近代という問題の延長線上にうっすらと浮かび上がってきたのは、現代の日本で踊る身体とはどのような意味をもつのか、という疑問ではないかと思います。ポスト・コロニアルな意識は非常に重要であり、われわれはその当事者として、多くの事ができるはずです。ですがもう一方では、旧来的な舞踊史に内在する白人中心主義を克服するために非白人が動員されている、と表現したくなるようなケースも散見されます。私自身がヨーロッパで活動する中で、西洋に批判的な立場をとることを過剰に期待されるというケースも、個人的に何度も経験してきました。言説が独り歩きした結果、ポスト・コロニアリズムが西洋社会のインテリ層における一種のステレオタイプとして定着し、新たなヒエラルキーがその周りに構築されつつある、という現状も指摘できてしまうのかもしれません。

 言い換えれば、ポスト・コロニアルの言説の内側にもコロニアルな構造は存在するのであり、それらといかにして渡り合いながら、権力関係を組み替え続けていくのかという問題が重要です。それ故に、非白人であるわれわれ自身も、この問題の「こちら側」に留まって一つの立場を取り続けることは出来ないのではないか、そしてポスト・コロニアリズムが単純な西洋批判と同義になってしまっては、現代の社会におけるより複雑な権力のあり方を捉え返すことができないのではないかと思います。グローバル化のマクロな力が押し寄せると同時に、個人単位のミクロな管理がどんどん実装されていく現代における権力の問題を真剣に考えるためには、われわれ一人一人が権力の客体であると同時に主体でもあるということを忘れてはいけないと改めて認識しています。

 さて、この「ダンスの(反)近代」というテーマに関しては永遠にやり取りが続いてしまいそうなので、そろそろ着地点をめざしたいところですが、ここまでの議論を踏まえて最後に一つご意見を伺いたい事があります。それは、歴史的な背景から浮かび上がる西洋的なダンスの形式に内在する諸問題を、現代において、特に非白人としてそれらを実践するダンサーたちはどの様に受け止め、乗り越えていけばいいのかということです。日本は世界でも抜きん出て習い事としてのダンス人口が多い「ダンス大国」であり、その全員がダンスを巡る問題の当事者であるはずです。それにも関わらずわれわれは、西洋にとっての「他者」としてしか、それらの問題に踏み込むことは出来ないのでしょうか。言い換えれば、この文章で私達が提示してきた問題に、現代の日本でダンスを実践・研究することを通してアプローチするには、いかなる道筋があり得るのでしょうか?

 これは私自身が抱えてきた悩みで、個人的な質問に過ぎないのかもしれませんが、「ダンスの(反)近代」というトピックに現代の日本でダンスを実践・研究する立場から切り込むとすれば、避けては通れない葛藤ではないかと思います。越智さんは一人の研究者としてどの様にその問題を捉え、ご自身の活動に取り組まれていらっしゃるのでしょうか。そもそも私が持ちかけたテーマである上に、最後に大きな問いを投げかけてしまい申し訳ありませんが、この往復書簡を終えるにあたって、未来へつなげるために、越智さんの個人的なお考えを伺いたいと思っています。


#3 (2020/12/31)

越智:

 身体は権力に貫かれており、権力が作用する主戦場であるし、故に身体は権力を逸脱させる契機ともなるという点には全く同意です。そして、この点にコンテンポラリー・ダンスの実践者たちは賭けてきたのだと思います。

 私のこれまでの研究は、ある部分では、近代を通じて形成されてきたコレオグラフィやコレオグラファーというものの機能/概念が90年代半ばから2010年代にかけて変容していった過程をフランスのコンテンポラリーダンス(特にジェローム・ベルやグザヴィエ・ル・ロワ)に見出すという作業でした[2]。ベルやル・ロワらは、ミシェル・フーコーやジャック・ランシエールらの身体をめぐる政治論、権力論を敏感に捉えて摂取し、ダンスにおける身体的規範からの逸脱や、振付家が持ってしまう権力をどのようにダンサーや観客に移譲するかということを問題として意識しながら創作を続けています。100%その理念が実現できているかどうかは別としても、そのような問題意識自体それ以前の世代のフランスのダンスには見出せず、彼らの活動の革新性はその点にあると思います。そうした観点で言えば、私が関心を持って考えてきたことや問題意識は、このプロジェクトで児玉さんと吉田駿太郎さんが議論をしている「ポスト・コレオグラフィ」に近く、重なる部分も多々あると思っています。

 ただ、今回はそれについての言及は控えて、児玉さんから問いかけられている「西洋近代の延長上にもある現代の日本において踊る身体について」、考えてみたいと思います。まず「ポスト・コロニアリズムが西洋社会のインテリ層における一種のステレオタイプとして定着し、新たなヒエラルキーがその周りに構築されつつある」という言及を受けて、私も思い出した体験があります。児玉さんが日本人、アジア人として過剰に西洋批判の立場を期待されたということがらとおそらく通じるところがある気がするのですが、英語圏の国際学会に出席する機会があったとき、自分が「アジア人である」という前置きをするとより発言に注意を向けられたり、黒人研究者による「ポスト・コロニアリズム」的な観点からの発言が大きな効力を発揮するという場面を何度か見ました。黒人の研究者は、白人によるかつての人種差別を生々しく再現するというパフォーマティヴな講演を行い、白人がやはり比率的に多い会場に沈黙が走りました。うまく言語化できない空気のようなものですが、聴衆の間にはその講演を「真摯に受け入れなければならない」という念があったのではないかと思います。「ポスト・コロニアリズム」的知見や立場を踏まえるということがその学会に参加している欧米のインテリ層にとって知的であるための踏まえるべき一つの条件となっているという印象を受けました。そのこと自体は一つの成果とも言えると思うのです。実際、その学会の懇親会などでその場のマイノリティであり、言語的に不自由のある東洋人の私に対しても「あなたの話を聞きたい」と心配りをしてくれる人たちもいて、感謝の念を持ちました。しかし、他方で、学会発表というよりシビアに発言内容の責任や意味が問われる場では権力関係は西洋対非西洋というだけのものではなく、学術の場に固有の権力性というものも絡まっている。研究の世界には、先行研究を踏まえ超えなければならない、つまりは自分の知的優位性を示さねばならないということが暗黙のルールとしてあり、良い時には、それは劣位にある者たちが権力を掴み取る手段となるし、悪い時には強迫観念的に不必要に他者を貶め自身の優位性を保持する手段にもなってしまう。つまり、これを言われたら黙るしかない、あるいはこれを言っておけば相手を黙らせることができるというようなある種のポスト・コロニアリズムの約束事化、レトリック化のようなものは容易に起こり得るという気もしたのです。そうなると、それは権利を取り戻すという行為から優位性を保持するゲームの手段にすり替わってしまいますし、児玉さんが述べたようなポスト・コロニアリズム的立場を組み込むための「白人による非白人の動員」と呼べる倒錯した状況も生まれるのだろうと思います。もちろん、このようなことの判断は極めて微妙なもので正解を求めるのが難しい。その都度見極める必要があるし、見極めたつもりで見えていないものもあるかもしれないし、人によって判断も異なることもあると思います。白人と非白人の協働の可能性も絶えず追究されるべきとも思います。

 フーコーも指摘しているように、本来、権力関係というものはあらゆる場面であらゆる対人関係の間に生じるものであって、本来は、一方が他方に対して常に優位とか劣位にあるというものではなく、その権力関係は常に入れ替わる流動的なものだと考えられます。だからこそ、児玉さんの言うように、私たちは誰もが権力の客体でもあるけれど、主体にもなりうる。権力関係が固定化して不健全な場合には、そのバランスを突き崩したり、組み換えたりすることが政治や芸術の活動として必要とされるのだろうと思います。

 「ポスト・コロニアリズムが単純な西洋批判と同義になってしまっては、現代の社会におけるより複雑な権力のあり方を捉え返すことができないのではないか」という点にも同意します。単にコロニアリズム批判を反復するだけでは優位性が入れ替わるだけで、西洋とその他地域という旧来的な二項対立的構造をむしろ強化してしまうという陥穽があると思います。

 最後に投げかけて頂いた問題はとてつもなく巨大で、私1人ではどうにもならない問題で、ダンスに関わる実践者、研究者全員が考える必要がある問題ですね。抽象的で断片的なことしか言えないのですが、まずは近代化、そしてグローバル化を経た今、私たち「日本人」の身体や生が置かれた状況を把握することが必要なのではないでしょうか。三浦雅士の『身体の零度』が先鞭をつけていることですが、たとえば、私たちの身体には民族性や地域性はどれほど残存しているのか、あるいは、私たちの身体はどれほど画一化、均質化しているのか、つまりは私たちの身体の有り様や位置付けを、思想史、社会史、政治史、技術史、芸能史、民俗史、教育史、経済史などを扱う様々な学問領域の成果から導出するということが必要だと思います。私は、先にフーコーの「規律訓練型権力」と舞踊史の繋がりについて述べましたが、教育学者の仁平典宏は、近年のネオリベラリズム/新自由主義下の日本では福祉が崩壊し、国民を「規律訓練」するコストと労力をカットし始めた故に、教育における「規律訓練型権力」への批判は効力を失ったと指摘しています。そうだとすれば、今、身体を貫く別種の権力の形態を考える必要が生じているのでしょう。イギリスの舞踊研究者ラムゼイ・バートなども新自由主義とコンテンポラリーダンスの関係について考察していますが、日本に住む私たちもまた西洋の「他者」としてではなく、同時代の当事者として、実践において、また研究においてこうした問題に応答を示すことができるのではないか。結果として西洋ー非西洋という二項を超えて世界各地でグローバルに起こっている同時代的な身体ー生を取り巻く状況への応答にもなりえる気がします。

 もう一点、「習い事」としてのダンスが盛ん、ダンス人口が多いという意味で日本はダンス大国である、という児玉さんのご指摘も興味深いものだと思います。私は20年住んだ東京を離れて現在、愛媛県に転居してますがダンスはやはり盛んだと感じます。東京で劇場で鑑賞していたような芸術作品としてのダンス公演はほとんど見られないのですが、たとえば大学のダンス部の活動は活発で、公演を打てば千人規模のホール(コンテンポラリーダンスの殿堂と言われるパリ市立劇場と同程度のキャパ)が満席になり、かなりの盛り上がりを見せます。日本でコンテンポラリーダンスをみるとなるとやはり首都圏であり、首都圏を中心に業界というかアートワールドのようなものが展開していると思うのですが、それとは無縁にダンスが息づいている。コンクールなどがあるにしても、それは、ロラン・バルトが定義したような「愛好家(アマチュア)/愛してやまない者」の実践としての好ましさ、魅力に溢れているように見えます。商業性や競争性、利益、アートワールドでの評価など気にせず、またそれらに付きものの権力性から外れたところで、享楽に従って一緒に盛り上がる体験は芸術作品としてのダンスを鑑賞するという行為とは別種のよさがある。

 「芸術」という制度、そしてその価値を評価測定する「美学」という学問は西洋から日本に輸入されたものと考えれば、「愛好家」の実践は「芸術」や「美学」の外部にあると言えます。美学者の尼ヶ崎彬がいう西洋由来の「芸術」や「作品」という概念が輸入される以前から日本にあった「遊芸」(謡曲、茶の湯、生花、踊り、琴、三味線など日常生活の延長にある芸能)も愛好者によって実践されてきたものだとすれば、それに近いものとしてダンスが定着したとも考えられる。こうしたダンスのあり方は、芸術作品としてのダンスのオルタナティヴとして、生を充実させる日常的実践の詩学として評価する必要があるのではないか、という気がします。その一方で、クラブでのダンス禁止のように日常の中にあるダンスの取締りのような出来事にも注意を払っておく必要がある。どのようなダンスが社会的に、法的に肯定され、否定されるのか、ということはそのまま私たちの「生」がいかに扱われているかということに直結すると思うからです。

 今述べたダンスに対する二つの見方・態度(身体の現代的な状況を確認すること、稽古文化としてのダンス)は狭義の芸術という枠を超えて私たちの身体や生(活)をどう捉えるかという点に共通性があります。この点を強引に舞踊史に結びつけるならば、1960年代のジャドソン・チャーチ派のポストモダンダンスとも重ねられる部分があると思うのです。批評家ノエル・キャロルは、ポスト・モダンダンスをヘーゲルによる「芸術の終焉」論と結びつけつつ、「発展史的語りを許容する最後のプロジェクト」すなわちダンスにおける「モダニズムの終わり」と判断しました。ポスト・モダンダンスは、ペデストリアン・スタイル、すなわち歩く、走るといった日常的な動きにフォーカスを当て、誰にでも参加可能と思われたことから、ジル・ジョンストン等に「民主的」あるいは「デモクラシーの身体」と評された一方、キャロルはポスト・モダンダンスが日常的行為に接近しすぎたため、日常的な生の中に吸収され消えてしまったのだという見方を取っています。実際1970年代にはジャドソンの当時者たち、イヴォンヌ・レイナーは映画に活動の場を移し、スティーヴ・パクストンはコンタクトインプロ・ヴィゼーションの活動を本格化し、トリシャ・ブラウンはプロセニアム・アーチを備えた劇場での作品作りに回帰し、最も日常のエッジに接近していった60年代の後、方向修正、もしくは近代的「芸術」の制度の方に後退しているように見える。しかし、カルヴィン・トムキンスは、ジャドソンのアーティストたちは、芸術(art)と生(life)の区別を破壊することを絶えず狙って来たのであって、芸術に奉仕しようとしたわけではないと言っています。トムキンスの見方を敷衍すると、むしろ彼らの照準は「生」にある。

 ここでいきなり違和感があるかもしれませんが九鬼周造の『いきの構造』にも触れておきたいと思います。九鬼はこの本の中でわずかに舞踊について触れていて、日本特有の日常的な身体的態度・身振り・生き方としての「いき(粋、意気、生き)」は、日本の舞踊に自ずと反映されるようになるけれど、舞踊となったときに初めて芸術と名付けて日常の身振りとの間に境界を立てることには作為と無理があるという主旨の発言をしています。つまり、「いき」の一つの芸術形式として舞踊を考察することは、結局のところ自然形式の身振りとしての「いき」を考察することに到達するとも言っている。舞踊に現れる美質としての「いき」は日常の中に溶けていく、というよりそもそも日常の生のなかにある方が普通だという考え方です。

 こうした九鬼の考え方は西洋近代的な芸術の観念とは無縁のところにあって、先に触れたモダニズム的な芸術の発展史(日常の「生」の中にダンスが溶解して終焉する)とは異なる見方であり、むしろ先ほどのトムキンスによるジャドソン評価(芸術と生の区分けを廃棄し「生」に焦点を当てる)に通じるものがあると思うんです。「芸術」と「生」の区別を廃棄し、「生」を全面的に扱う対象とみなした時、ダンスは終焉したのではなく寧ろそこから始まったとも言えるかもしれない。60年代のダンスの終焉論は、近代的な芸術の見方をもつアートワールドの尺度からダンスが外へ抜け出た時にダンスは終わったという表現しかできなかったけれど、実はそこから何かが始まっていたのではないか。研究者としては、その先のダンスと見えないかもしれないダンスをとらえる視点、記述する言葉を見つけ、養わなければならないのではないかと思います。私は、振付家やダンサーは、そうした既存のダンスの外にある見えづらい身体の状況を、今までにないダンスとして可視化してくれる存在だと思っていて、彼ら/彼女らが「来るべきダンス」を提示してくれるとき、それを見過ごさないですむための訓練、いわば素振りのようなものとして研究を続けているという気がします。それには、フーコーが規律訓練型権力や生政治のカウンターとして構想していたと思われる自分の生を素材とする「生存の美学」、フーコーの生政治を独自に解釈し直しているジョルジョ・アガンベンがいう「生の形式」といった権力の支配を逃れるような日常の身体の使用をめぐる思想もヒントになるという予感もしています。 

 そのようなわけで、とりあえずは、四国の山道を歩きながら、私自身もこの現代の日本に「生」を持つ者としてそうしたことを考えていこうかなと思います。最後に、山歩きを好み、千変万化する自然のなかに「ダンス」を見いだしていたであろう串田孫一の詩を引いて、締め括りたいと思います。1人の観察者として、1人の生の当事者としての理想のあり方がそこに、現れているような気がするのです。

意味のない踊が本当の踊である。

ただ人々は、多くの意味を背負わされた踊を余り見て来たので、

意味のない踊にも解釈を付け加えてしまう。

本当の踊を見られなくなってしまった不幸な人たち。

それに、本当の踊はそう長くは続かない。

だから、この貴いものを見落とさないためには、どんな努力がいるか。

存在しないように存在することも知っていなければならない。

私自身は、コンセプチュアル・ダンスと呼ばれたものを研究していたこともあり、意味にまみれたダンスが好きですし、これからも自分自身がダンスや身体に意味づけをしてしまうことから逃れられないと思います。しかし、もしかしたら芸術−非芸術にかかわらず、意味の果ての真空がふと現れる瞬間に立ち合いたくて、ダンスをみているのではないかと思う時もあります。串田孫一がいうような、存在しないように存在すること、その貴いものを見落とさない努力をしていたい。まだまだ道のりは遠い、と思いますが、一つの理想ですね。

[2] 拙著『コンテンポラリー・ダンスの現在 ノン・ダンス以後の地平』(国書刊行会、2020)、論文「パリ・オペラ座における民主化の動向:ジェローム・ベル委嘱作品《ヴェロニク・ドワノー》を巡って」(『愛媛大学法文学部論集』、2020)を参照いただければと思います。