タナポン・ウィルンハグン

Thanapol Virulhakul

タマサート大学で映画と写真を学んだ後、人間による自己と世界の知覚をめぐる関心と疑問を追究するため、コンセプチュアルなダンス・パフォーマンスにダンサー、振付家、演出家として関わり始める。2013年から2019年まで、デモクレイジー・シアター・スタジオの共同芸術監督を務める。2019年、シテ・アンテルナショナル・デザールのレジデント・アーティスト。日本では2019年と2020年のTPAMにおいて『退避』を発表した。


「異教徒的な民主主義肯定者たちと、そのバンコクの路上におけるダンスの実践」

 抗議の最中に、放水車、催涙ガス、有刺鉄線や、武装した警官・軍隊によってあなたの命が奪われたり投獄されたりしかねない状況に直面した時、あなたはダンサーとして何をするのだろうか?

 路上での抗議の群衆に加わる中で、もし暴力を行使されたら、いかなるダンスの技術があなたや周囲の人々を救い、生き延びる手立てになり得るのだろうか?

 そして民主主義運動において起こっていることが、アートの世界の内部における動きよりも大きなものである時、その運動を助けるためにあなたはダンス・アーティストとして何を提供できるのだろうか?

 これらの疑問はタイにおける抗議活動が始まって以来、常に私の心にあり、私の芸術活動をストップさせた。さらには、今までに路上で起こってきたことは私がアートの枠組みの内部で行っていたことよりも効果的であるように思える。もしかすると、私達はいかに抗議の運動/動きが社会を前へと進めるための可能性に満ちているか、ということを民衆から学ぶべき時が来たのかもしれない。

 バンコクでの抗議活動において、それまで誰も公共の場で語ろうとしなかった問題への異議を申し立て、真の民主主義を直接的に呼びかけた最初の出来事は、なんと「ハリー・ポッター」のテーマの下で生じた。抗議者たちはハリー・ポッターの登場人物のように魔法の杖と黒いローブで仮装し、君主制という闇のフォースと戦うために集った。この抗議活動のテーマが指し示すのは、われわれタイの市民が実は魔法の世界に暮らしており、故にタイにおける状況を合理的思考で理解しようとする試みは往々にして救われないものになる、ということだ。私はこの抗議活動を異教信仰(paganism)として捉えることを提案したい。

 タイでは、人権の名のもとに個を保護するという法の原則が民主主義肯定派(pro-democracy)グループから剥奪されている。我々が暮らすその非合理的な世界は予測不能で、いつでも最悪の事態が起こり個の生命を脅かし得る。とりわけ、君主制に抗する活動を目立って行う人々が、あたかも魔術の超自然的な力にかかったように、突然の死を迎えたり、行方不明になったりしている。君主制がタイにおける正統派(orthodox)信仰なのだとすれば、民主主義肯定派の抗議者たちは異教信仰者の集団であり、この集団は信念の多様さと同時に、ある一つの目的を共有している。それは「解放」である。

身体について

 ここで「異教信仰」とは、自然への敬意と古来の多神教的かつ精霊信仰(アニミズム)的な宗教実践の復興を強調する、様々な伝統を意味する。それはLGBTQIやK-popダンスのコミュニティ、ラップ・ミュージックの文化、フェミニズムなどの様々な領域から集まったタイの民主主義肯定派グループの数々と類似している。それらは各々の信仰を身体化すると同時に、ある「市民的身体」を現実化する。これらの重層的な身体化(embodiment)は路上で戦うための潜在能力に満ち溢れた、人間を超えた身体を立ち上げるのだ。

 抗議者たちは二つの世界に並行して存在している。一つはアストラル(註1)なオンラインの世界であり、もう一つは物理的なオフラインの世界である。アストラルな世界においては、全てのものは他者と接続する能力を持ち、時間を超えて、正統派の制度が隠蔽しようとしているタイの歴史的出来事を目の当たりにする事ができる。FacebookやLINEを通じてテレパシー的に互いと交信し、ツイートとリツイートの魔法を使って民衆を一つの巨大な市民的身体へと呼びかける。それは個々のユニークな個人によって構成された集合的身体である。それぞれがそれぞれでありながら、巨人の身体の一部として他者と同化(align)するのだ。この民主主義肯定的な巨人の身体は、生物と無生物、人間の身体、食べ物の屋台、クロス・プレイ(皮肉を込めてフィクションのキャラクターや歴史上の人物に仮装すること)のキャラクターたち、楽器などによって構成されている。そしてこの巨人は自由の身体を持ち、平等の心を持ち、友愛の魂を持っている。これらの身体化と共に、その身体は互いと同化しながら自らを変容させ、同じ呼吸を持ったより大きな生命体のグループを生み出すのだ。

註1:ここで「アストラル(astral)」という言葉で私が指すのは、簡単に言えば人間が物質的な身体のみならず非物質的な身体を持っているという考え方のことである。そしてソーシャル・メディアにおけるヴァーチャルな生をアストラルな領域として考えることができる。

 さて、われわれダンサーは、タイの抗議者から何を学び取ることが出来るのだろうか?抗議者たちが示しているのは、身体は厳密な一つの役割への結び付きを遥かに超越するということだ。それを踏まえれば、ダンサー達には多重なレイヤーを同時に身体化することが可能なのではないだろうか?もしプロフェッショナルなダンサーが「ユートピア的」に常に市民の身体、踊る身体、ジェンダーの身体、酔った身体、個人的嗜好などを踊りながら身体化するものであるとしたらどうだろうか?

ダンスの実践について

 もし抗議活動に参加することが、ダンス・トレーニングのプロセスだとしたらどうだろう?路上における抗議活動に参加することを、民主主義を肯定する異教信仰的儀式を通したダンス・トレーニングのプロセスと等しいものとして検討してみよう。

1. 予備的な練習

 あなたの心もしくは存在を乱すと常に感じている社会政治的な問題について考える。もし何も見つからなければ、アストラルな身体を使用してFacebook、Twitter、そして他のオンラインの世界をサーチして渡り歩けば、もしかしたら何か問題や歴史を認識することができるかもしれない。そして踊ったり、ダンス・パフォーマンスを作る事は、いくら問題に関わる事柄に懸命に取り組んだとしても、問題を解決するには十分でないことを受け入れなければならない。このプロセスは一人の市民として市民的身体に接近し、他者の市民的身体と深層で接続することを助けるのである。

2. オンラインのアストラルな身体を使って、カルトに入る、または作る。

 問題に関して同じ懸念を抱えるコミュニティを探すように努める。もし見つからなければ、人を集め、問題に関する意見、考え、情報をオープンに提供するプラットフォームを作ること(タイでは、政治難民として京都に住むタイ人学者、パウィン・チャッチャワーンポンパン准教授の立ち上げたTa-lad-lung[ロイヤリスト・マーケットプレイス]というFacebookグループに約200万人が参加した。このグループは隠蔽された歴史と、タイ君主制、そしていかにその君主制がタイの社会政治的闘争の一部を担っているかに関わる、非正統派的な情報を提供するプラットフォームである。さらには、このプラットフォームは有名な秘密のグループとして、タイ人たちが君主制に関して公然と話し合う場となっている)。

3.物理的世界の集まり/魔法陣

 物理的な公共の場に異教信仰者をあつめ、儀式をともに行う。ダンス、歌、政治的なスピーチ、食事など、誰がどんな行動を始めても構わない。これは公共でのパフォーマンスに関するものではなく、むしろ他者との同化に関するものである。

4. 巨人を呼ぶ

 それぞれの個人が共に繋がり合い、同じ魂をもつまで第3段階を続けながら、ツイートの魔法を使って他の異教信仰者たちを、願わくば公共の場である特定の場所・時間に集まるよう呼びかける。そこでは、それが何であれ各々の行動をとってよい。なぜならこの雑多な群衆のなかで、優雅に踊ることと立ち尽くすことは同じ価値を持つことに気づくだろうから。価値のある芸術という幻想は破壊され、すべての身体運動が主権権力と正統派的制度にとっては同じ価値をもつことが露わになる。各々が互いの行動に参加し、サポートすることに備える。この枠組の中で参加という行為はパフォーミング・アーツの問題系を最も露わにするのかもしれない。観客の目を、実際の主権権力を持った者へと向けさせるからだ。

5.舞台上で

 第4段階を経過し、舞台上での仕事やスタジオでの創作に戻ったとしよう。そこで心に留めておいてほしいのは、あなたは一人のダンサーであるだけではなく、市民的身体と他の多くの身体をうちに秘めた市民だということであって、踊る身体だけを使用しないでほしい。国家の視点では、すべての行為や動きは均等な価値を持っている。ダンス/行為/動きを創作することは、主権権力を効果的に撹乱する動きを見つけるために有効なものだろうか?

 ダンスは人の行為の一部であり、舞踊芸術は社会の動きの一部である。今、世界中で皆が向き合っている人間性の夜明けの中で、もしあなたが社会を前へと推し進めたいのならば、希望を持って踊るための一つの道とは、ダンスを芸術の世界に押し込めたり、物質的な身体の動きのみに限ったりするべきではないという風に考えることではないだろうか。その上でダンスが何かを表象するものではなくなった時に初めて、芸術としてのダンスも十分な力を持ちえるのだろう。


訳:児玉北斗 

(英語で執筆された原文を基に、ウィルンハグン氏とメールでやり取りしながら細部の意図を確認し、翻訳しました。なお、原文はウィルンハグン氏の意向により公開いたしません。ご了承下さい。)